「背中をピンと!」「胸を張って!」「お腹を引っ込めて!」体育会系の私は、姿勢にはちょっとうるさく、

子ども達にも繰り返し注意します。姿勢は、身体はもちろん精神にも大きく影響すると考えているのです。

先日も、朝食のとき姿勢を注意すると、小学生の娘がこう聞いてきました。

「ママァ、○○ちゃんのママが姿勢悪かったら注意する?」

「えっ?」

「ママと○○ちゃんのママは親友でしょ?」

娘はどこかで、親友とは何でも言い合える仲だと聞いてきたらしいのです。

 

さて、親友とはなんでしょう。何でも話せる人?私を分かってくれる人?優しい人?それとも、いつも一緒にいられる関係?長い付き合い…?

 

親友の「理想像」をあれこれ思い描いて、それに当てはまる人を探してみても、頭の中には、もやもやが広がるばかり。私には親友はいないのだろうかと、不安がよぎります。

“親友がいない。親友が欲しい。”今時の小学生には、「親友証明書」なるものを取り交わす子さえいるそうです。子どもに限らず、社会人になっても、母親になっても、親友探しに心を悩ませている人は少なくありません。

 でも、ちょっと待って下さい。親友がいるかいないか決めることは、そんなに重要なのでしょうか?

 何でも話せれば親友で、話せなければ親友ではない。そんな風に○×で判断できるほど、人間関係って単純じゃありませんよね。人生や子育てに、○も×もないのと同じです。

それなら、相手がどうであれ、身近にいる大切な人たちと、どんな関係を築ける自分自身でありたいかについて考えるのはどうでしょう?一緒にいて心が安らぐ関係になりたい、お互いの自分らしさを尊重できる仲でいたい…そんな思いを膨らませて相手と接していれば、いつの間にか、そういう関係になっているものではないでしょうか?

 

さて、娘の質問に戻ります。

もし彼女の姿勢が悪かったとしたら・・・?

その姿勢も彼女の大切な個性だから、それもひっくるめて彼女の魅力。そして大切な友人が美しく健康であることは私の望みです。でも伝えるか伝えないかは今はわからない・・・。

もし伝えるとしたら、その時私が懸念していることがひとつあります。相手に「注意された=私を無知だと思っている=私を非難された」と誤解されること。だから、「私はあなたを尊敬し、とても大切に思っています」ということが伝わる言葉を捜すでしょう。親友とは私にとって大切な人だから。